2006年01月26日

成果主義とデイトレード

昔から新聞や評論家は、デイトレーダに批判的なのだが、ホリエモンの逮捕をきっかけにそのような記事が目立つようになって来た。

大体の記事の論調は、デイトレードはリスクが高く、一攫千金狙いのギャンブルであり、安易な金儲けよりも、堅実な努力をしてスキルを高めるべきという主張だ。

しかしながら、デイトレードは基本的に

・実はローリスク
・努力と継続が必要
・自分との精神的な戦いで
・成果主義(自己責任)

な世界である。もちろん、デイトレードで食えてない人も沢山いるとは思う。しかし、そういう人(単純に博打を打っているだけの人)がいるからといって、デイトレードが堅実でないとはいえないのだ。

昔と異なり、今はインターネットがある。「取引事務」が機械化できるので、その事務原価が安い。また、証券会社間の過当競争もあって、寺銭にあたる取引手数料はさまざまな賭け事のなかで極端に低い。このことが、デイトレードを堅実な商売へと変えたのだ。デイトレードを博打と見た場合

・寺銭が安い
・運の要素が少ない(情報力がものをいう)
・対面でない(純粋に理論だけで戦える)

という特徴がある。つまりきちんと勉強して、練習すれば、比較的簡単に博徒になれる世界なのだ。例えば、麻雀が強い人でも、ビギナーズラックの初心者に負けることもある。しかし、初心者(カモ)と丸一日やれば、かならずプラスになるはずである。デイトレードもそれと同じで、努力して「得意な銘柄」さえもてれば勝てるようになるのである。なお、デイトレードで一攫千金を狙うと、一回の負けで復活できなくなるので、それはお薦めしない。雑誌で報道されるような凄いリターンの人は、たまたま破産しなかった可能性が高いようなかけ方をしている。
あくあまでこつこつ、毎日、少しずつ稼ぐものという心構えが大切だ。

ホリエモンは、エッヂ時代、社長兼技術者だった。それも結構ちゃんとした技術者だった。もしかすると、その優秀さ故に、「技術はすぐ陳腐化し、換金性も高くない」ことに気づいてしまったのかもしれない。

そうなのだ、スキルは一生飯のタネになるものと、ITのように学ぶのは難しくても陳腐化が早いものがある。「陳腐化=リスク」だし、その技術は、換金(=労働力を提供して賃金をもらう)するのに、就職と上司の評価と2段階のハードルをクリアする必要がある。実力があれば評価されるって?そうかもしれない。しかし、相場なら評価される必要もない。あるのは結果のみだ。

「相場」にはいくつか理論があり、勉強出来る部分もある。そして、寺銭が低ければ、勝率は限りなく5割でよいのだ。この技術はたぶん一生使えるし、病気で動けなくなっても、バカにならない限り稼げ、育児や家事との両立もしやすい。

一方、サラリーマンは、いつ違法解雇されるかわからず、陳腐化の可能性の高い技術であっても、命令とあれば従事する必要があり、寺銭(売上げ-給料)も極端に高い。

一方、デイトレードは、1年に200日ぐらい相場を張って、6割ぐらいの勝率で勝てれば、派手な生活は出来ないかもしれないが、確実に暮らしていける。

どちらが、ありさんの生き方で、どちらがキリギスな生き方が、再度考えて見てほしい。



posted by ポスト小泉チルドレン at 23:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月25日

成果主義と天下り

成果主義という言葉における「成果」とはなんだろう?
もし、会社に与える貢献度という意味なら、「天下り」は十分「成果」がある。

例えば、ホリエモンが、東京地検や高検のヤメ検弁護士を顧問にし、警察官僚だった亀井静香の同僚(警察OB)や、SECに顔が利く金融庁OBの天下りを受け入れていたら、今回の家宅捜査は受けただろうか?基本的に、儲かっている会社にとって、天下りは意味がある。その費用対効果は、保険的なため判りにくいが絶大なのだ。

しかし、一般的には「天下り」という言葉は、
・一日中なにもしない(成果をあげていない)
・高額な報酬を受けている
という趣旨で利用されることが多い。何もしてないように見えても、人脈という価値でみたら、トップ営業に匹敵する価値があったりするものだが、それは「成果」とはいえないらしい。

一方、100mを10秒でしか走れない人と、9秒9で走れる人の、成果を考えてみよう。
まず「速度」という視点だと、1%の差だ。この視点によると成果主義による報酬は、1%のあればよいことになる。しかし、商業価値はまったく違う。スピードよりもその順位に価値があるからだ。多くの場合、1位になった人以外は広告的な価値はほとんどない。

この2つの事例から類推されるのは、
・(見えやすい)「努力」に比例する報酬
・人より上位の結果を残している場合の報酬
という2つの尺度での評価を行おうというのが、「成果主義」といわれているものかもしれない。

そして、若手は成果主義によって「見えやすい努力をしていない中高年層」の給料分が自分達に配分されるのではないかと期待するが、
管理職は、成果の残せない部下が、自分の部署の成果を下げているのだと主張する。

カルロスゴーンは、誰もが不可能と思う目標を3つ上げ、「1つでも達成出来なければ、役員は総退陣する」と約束した。
日産リバイバルプラン
1) 2000年度に、連結当期利益の黒字化を達成
2) 2002年度に、連結売上高営業利益率4.5%以上を達成
3) 2002年度末までに、自動車事業の連結実質有利子負債を7000億円以下に削減
しかし他のリストラを断行した社長の多くは、成果が上がらなくても退陣しない。成果が上がらなくて退陣するのは、銀行などから迫られたときだけだ。



誰が一番能力があるか(=相続すべきは誰か)で争った為に弱体化した国は多い。

長子相続を不可侵のルールとして採用した王家が多いのは、成果主義による相続システムをとった国が弱体化して滅んだ成果なのだ。
あなたの会社が成果主義をとったら、そうならないといえるか、今一度考えてみてほしい。


posted by ポスト小泉チルドレン at 00:50| Comment(1) | TrackBack(0) | 政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月24日

文武両道とハーバードMBA、エコール・ポリテクニック

日本で文武両道というと、「勉強もスポーツも平均より出来る」という意味で使われる。
しかしながら、元々は「文武二道」といい「仕事が出来るだけでなく、教養もある」という意味だった。つまり、「武」とは武士の仕事を指し、「文」は道徳的な教養を指していた。

今では、(古来の日本での)文武両道的なものの考え方は、むしろフランスやアメリカのエリート教育でしか見られなくなって来た。
欧米には、noblesse oblige(ノーブレス オブリージ)という考え方があり、王家は率先して兵役に行くし、特別待遇も無い。日本では、えらくなると残業がなくて、下っ端だけがあくせく働いている職場もあるが、向こうでは逆で、庶民は残業せずに、エリート層が死ぬほど働く。それがエリートに課せられた義務だという文化があるのだ。一方日本のサラリーマンCEOで、カルロスゴーンのように、朝7時から夜11時まで働く人間がどれだけいるだろうか?


カルロスゴーンが卒業したエコール・ポリテクニックは、フランス最高峰の理系学校なのだが、技術者としての勉強だけでなく、哲学、論理学、文学、経済学なども重視される。

また、ハーバードのMBAで、各教授が最後の講義で述べる内容は、啓蒙に満ちたものだ。
例えばこんな風に、「(あなたたちが)率いていくことになる会社には、清掃員もいるし、部課長や受付係りもいれば、重役もいる。こうした人々の力があってこそ、貴方の会社が、そしてあなた自身が発展し、利益を生むことができるのだ。あなたが名前も知らないこれらの人たちは、自分のための、会社のために一生懸命働いている。そして同時に、それぞれの家で待つ家族のためにも、働いたり犠牲を払ったりしているのだ。会社のリストラで従業員の解雇を考えなければならなくなったら、どうかこの話を思い出してほしい。あなたの決断で人生を変えられる従業員は、ただの数字ではない。皆、現実を生きている人間なのだ。」というようにだ。

エリートは、ペーパテストが出来るからエリートなのではないのだ。


posted by ポスト小泉チルドレン at 00:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月23日

中高年男性の自殺と出生率

最近は、中高年男性の再就職はとても難しいらしい。
昔のように「条件を下げれば見つかる」というレベルではないようだ。
(年収200万でも落とされることがある。)
もしリストラされた中高年男性に、大学進学を控えた子供がいる場合

・住宅ローンの団体保険
・厚生遺族年金
・生命保険

の為に、とても強い自殺インセンティブがはたらく。(自殺するくらいなら、会社と戦えって?)

一方、フランスでは、出生率が高い。少子化で困っている日本からみたらうらやましい限りだが、これも厚い家族手当と教育費の無料化という、金銭インセンティブのおかげと言われている。

日本では、本来は生活防衛の為の(金銭的な)制度が、自殺を誘導し、フランスでは、婚外出生を誘導するような制度で、少子化防止している。どちらが大人で成熟した制度だと思いますか?

posted by ポスト小泉チルドレン at 23:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月22日

会社は株主のもの

元フジテレビ労働組合書記長の日枝久と、ライブドアのホリエモンとの抗争で有名になった感のある「会社は株主のもの」という言葉。
このプレイヤー(流行語)の出現で、労働者vs会社という対立構造が、株主vs社長(役員会)vs労働者という、三つ巴な構造に変わりつつある。

面白いのは、公開会社なら、だれでも株主になれるということ。
だから、もし労働者の集団が大量に株を保有してしまえば、会社は株主(=労働者)のものになって、経営者をこき使う事も可能になるという点。
そして、労働者の権利を守りすぎて、会社が傾いても、株主でもあるので自己責任なのでしょうね。

posted by ポスト小泉チルドレン at 12:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

競争激化で全体主義と共産主義の時代が再来?

また日本が短絡的競争社会になりつつある。
「競争」といえば聞こえはいいが、実際には「違法度」の競争になっていないか?

競争入札にかかわった人ならわかると思うが、「談合無しで、入札」だと、普通は赤字でないと勝てない。「次の仕事との合算で黒字で考える」企業か、仕事がなくて困っている社長が、苦し紛れに応札した場合しか、勝てないのだ。
後者の場合、その金額でやっていくためには、労働法以下の条件で、働いてもらうしかない。

もちろん、いつの時代も「法律を守っていては商売にならない」という世界があるのはわかる。
しかし、昔は、そういう世界は暴力団が担当していて、それは逮捕と隣りあわせだった。暴力団に外注する人も、いろいろわかった上で取引をしていた。(暴力団はニートの就職先でもあった。)

今は違法の認識なく、非暴力団の人が違法行為を行う。例えば、今時「事前面接無しで、労働者を派遣」の原則を守っているところは15%しかない。

そして労働条件でなく、鉄筋にしわを寄せたのが、姉歯設計であり、ヒューザであり、木村建設だったのだろう。

かつて、自由主義により、大量の(違法競争の)敗者を生んだ結果、ナチスなどの全体主義や粛清系共産主義を生んだ歴史があったが、このままでは歴史は繰り返すことになるだろう。





posted by ポスト小泉チルドレン at 11:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。